ちゃらんぽらんたん日記

社会 society に興味があります。

平成を笑う昭和

昭和が平成を笑う。

 

こんなことも知らないのか、と。

 

だけれども、自分達が生まれる前のことなんて当時を生きていた人達と比較したら知らないことの方が多いだろうし、根本的に生きている時間が違う。

 

理想は、昔はこういうことがあったんだよ、と誠実に知識を伝承していくことだと思うけれど、無知な事を揶揄嘲笑し、優越感に浸り、懐古主義を強化している居丈高な人がいるというリアルがある。

 

元号が、「これだから〇〇生まれは、、、(呆れ)」に嵌め込むだけの、世代間対立の扇動やマウンティングするだけの用途に供するならば、ミクロなエスノセントリズムの象徴でしかない元号なんて不要だし、西暦のみにした方が賢明だと思う。

ドラマ「ハンドレッド」から学んだこと(続)

人が意識的に変わることは難しい。年齢を重ねて経験を積んでいけばいくほど、特定の考えに固執し、思考の新陳代謝を行うことが難しくなっていく。

 

ハンドレッドでは、多くのキャラクターが様々な環境の変化に暴露され、穏健派が強硬派に、強硬派が穏健派に、剰え強硬派から穏健派、そして強硬派のように立脚点が目まぐるしく変化していく。

 

考え方が変わる要因は、自分の感情が大きく揺さぶられるような事象の発生(例えば愛する人の危機や死など)だ。このようなことは、現代社会にも変換できる。例えば自分の子供を飲酒運転の交通事故で亡くしたことが契機となり、飲酒運転の撲滅のために奔走する人とか、身内のギャンブル依存症が契機で、依存症で苦しむ人を支援したりとか、恐らく枚挙に暇がないくらいある。

 

環境の変化は人の思考様式を容易く変えてしまう。そしてそれは望ましい方向かもしれないし、その逆かもしれない。後者にならないためには、思考に自覚的でなけらばならない。メタ認知みたいな。

ドラマ「ハンドレッド」から学んだこと

「人類の存続のための犠牲」という錦の御旗のもと、ハンドレッドでは多くの人々が選別され、殺されていく。

 

牛や豚は、人類よりも個体数が多い。即ち、種としては繁栄しているものの、人類の管理下であり、狭い檻の中で、自由に歩き回ることすら許されず、挙句の果てには食肉として出荷されて短命に終わる一個体としては、到底「繁栄」などという豪華絢爛な文言を用いることはできない。

 

「個」よりも「種」、個に具備されている「人権」よりも「人類」にプライオリティを求めることは、全体主義的帰結を招くのであって、「人類」の存続という大義名分のもとに多くの人々の虐殺が容認されることになる。

 

有り体に言えば、そのように人類が存続していくことを所望するならば人類は存続する価値はないと思う。

 

そのところをハンドレッドは改めて再認識させてくれた。「個」よりも「種」を優先させることは、ロクなことにはならない。

結婚するのは誰か

「娘さんと結婚させてください」

多くの男性陣は、恋人の実家に足を運ぶ時、少なからず緊張するだろう。そして、恋人の両親に(主に父親に)結婚の許しを乞う。

 

これは、ドラマや映画等のコンテンツでもお馴染みの光景だ。どれぐらいの割合で世の男性が許しを乞うてるのかは不明だが、今でも日本に根強く蟠踞している文化だと思う。

 

別にこの文化を糾弾したいわけではない。ただ、これは、パターナリズム的な文化の一面であって、当人の意見を蔑ろにしている。無論、親だから子の心配をするのは当然だし、家族というのは感情的結合体でもあるから、ロジカルになれないこともあるだろう。

 

だけれども、選ぶのは誰だろうか。

 

恐らく、親ができることは選ぶことではなく、選ぶための判断材料を自らの経験則から導出された見識、知見を基盤に提供、助言することではないかと思う。

 

人の選択を、意志を、尊重する。大切な人であるならば、尚更である。

切望する理想郷

選択をした結果が望ましいものではなかった場合、「あの時、こうしていれば、、、」と後悔しがちだ。

 

だけれども、別の選択をしていれば本当に望ましい結果を招来できたのだろうか。これは、人が陥りがちなバイアスのような気もする。

 

別の選択をすれば望ましい結果を獲得できるという保証はどこにもないのに、どこかに「正解」があるのだと思い込む。思い込んでしまう、のではなく、思い込みたい、なのかも知れない。

 

別の選択を理想化してしまう私たち。

選ぶ自由

 

アメリカ連邦地裁による「女子はスカートしか履いちゃいけない」校則の違憲判断。

他人に実害を与えないのであれば、選ぶ自由はあっていい。

伝統的価値観を理由に持ち出す人がいるが、それを根拠に人の選択肢を奪うのは単なる詭弁でしかない。

そういう意味でもっとドライで、個人主義的な社会になればいいと思う。