懐疑を懐疑しない
正しさは所有できると勘違いする事がないよう、懐疑を懐疑しない姿勢が必要だ。
マンハイムは存在被拘束性(思想や知識は文化的社会的諸条件によって拘束されているというもの)の概念を提唱した。これはある意味、社会的本質は相対主義であることを示唆するものであるが、浮遊するインテリゲンチャという概念を提案することで真理を導出しようとした。
正しさや真理が存在しないわけではない。
人には、各々が信じているものがある。そこに正しさや真理が存在するが、それはあくまでも個人の外に飛び出るような外在的なものではなく、断続的に内在し続けるものに過ぎない。
即ち、正しさや真理に「普遍性」という性質は具備されていない。「普遍性」を説いた瞬間に、恐らくそれは「暴力」への架け橋になってしまう。
正しさや真理の「普遍性」を人々に説伏しないためには、オルテガの言葉を拝借すると、懐疑を懐疑しない、という姿勢が必要だ。
疑うという行為は認知負荷がかかるものだし、疲れる。が、正しさや真理に溺れないためには、避けて通れない不可避的行為なのだと思う。